「麒麟がくる」は裏太平記である

昨日(5/17)の回の「麒麟がくる」を見て、思ったことを書いてみます。昨日の回で十兵衛が朝倉義景からの援助を断るシーンがありました。伊呂波太夫が「くれるというものは、お受け取りになればよろしいのに」と言ったシーンは印象的でした(おそらく十兵衛は賄賂なども受け取らないでしょう)。このようなシーンというか人物を過去の大河ドラマのどこかで見たことがあると思いました。思い出してみると、それは「太平記」の足利直義でした。足利直義は清廉潔白で賄賂などはまったく受け取らなかったと言われています(逆に足利尊氏は賄賂を受け取ったうえで、全て部下に下げ渡したと言われています)。では、明智十兵衛光秀が足利直義だとすると、足利尊氏は「麒麟がくる」では誰になるか。それは、藤吉郎(後の豊臣秀吉)ではないでしょうか。足利直義・光秀が陰陽の陰だとすると足利尊氏・藤吉郎は陽になります(性格的にもそんな感じにみえます)。最後に陰が倒れて陽が残るのも似ています。つまり、「麒麟がくる」は陰の側を描いた太平記、いわば裏太平記といえるのかもしれません。

 

光秀は悪役になりたくてなった人間ではないと思います。武士なのに戦も嫌いです。自分の役目を淡々とこなしていたら、いつの間にか、陰の側を演じる役目になってしまった、そんな人間のような気がします。「麒麟がくる」のこれからの越前編、十兵衛光秀には不遇の時が続きます。そして、その裏では陽の側の藤吉郎の快進撃が続きます。陰と陽、この2つは物語の終わりまでは直接交わることはないのではないかと思います(「太平記」では足利尊氏足利直義は兄弟のため、最初から最後まで一緒でした)。

そして、陰陽が交わるとき「麒麟がくる」のではないでしょうか。