世界の辺境とハードボイルド室町時代

世界の辺境とハードボイルド室町時代

某書評メルマガで紹介されていて読み始めましたが、目から鱗が落ちすぎました。現代ソマリア室町時代の共通点から始まって、「さき」と「あと」の話、独裁者の平和志向の話、日本人はなぜ政府を「くに」と呼ぶのか、等々筆舌に尽くしがたい面白さです。この本を読んで改めて考えたこと、それは我々が当たり前と思っている「伝統」「常識」の起源がいつ頃の何なのかを考える必要があるということです。戦前か、明治維新か、江戸か、室町か、鎌倉か、それ以前の律令制度か。そして、その「伝統」「常識」ができる前には、別の日本があったと考えると、また違った世界が見えてきます。ちょっと本の内容からずれますが、例えば夫婦別姓の問題について考えてみると、そもそも江戸時代までは、名字は天皇を中心とする公家社会と武士のもので、その他の民には許されていませんでした(屋号はあったようです)。それが、明治3年の平民苗字許可令で許可され、明治8年の平民苗字必称義務令で義務化されました。つまり、公家と武士以外の人々の名字の歴史はたかだか150年しかありません。そう考えると「夫婦同姓でないと日本の家族観が崩れる。伝統が崩れる」といった意見がちょっとずれているように思えます。本の中にもありますが、今生きている社会がすべてではありません。現代が特殊だと考えると、また違ったものの見方ができるのではないでしょうか。