Minority Report

最近、改めて社会に対する自分の立ち位置を再認識するに至りました。それは、「社会のMinority Reportになる」ということです。Minority Report、これはこのブログの題名ですが、10年以上前に上映された英語の題名です。犯罪の抑止すら自動化された未来で大多数のコンピュータにより犯罪者とされた主人公が自分の無罪を証明するコンピュータを探して立ち向かうというものです。現在でもgoogoleの検索、Facebookの人間関係、Amazonのレコメンドなどいろいろなものが自動的に表示されますし、これからの未来はビッグデータによりさまざまなものが自動化されるでしょう。しかし、それらが必ず正しいとは限りません。社会においても、(「みんなの意見は案外正しい」という本があるように)大多数の意見はおおよそ正しいでしょうが、必ず正しいとは限りません。そのような場合に少数派の意見を言うことが自分の役割ではないかなと思っています。ちなみに自分の意見が多数の場合、私は自分を疑います。このような考え方自体、同調圧力が強い日本社会では異例のものでしょう。このブログを名付けたこのとき2006-07-26 - Minority Reportから、私の意識は基本的に変わっていないのです。