自分はインターネットに何を還元できるか


週末に書こうと思っていたが,昨日のエントリを書いていて改めて気づいたことがあったので忘れないうちに書いておく。(「ウェブ時代をゆく」欲しい!応募エントリー)

昨日の高知白バイ事故裁判 - Minority Reportを書くために、いろいろ調べてみたのだが結構いろんな人がこの裁判について書いているようだ。そして、それらのエントリーは互いにトラバしたり、上記の瀬戸内海放送を紹介したりして互いにつながっている。それらを書いている人々はこの裁判の報道を見て,何か言わずにはいられなくなった人たちだ。でも、よくよく考えればそれらの人たちもインターネットがなかったらこのようなエントリーを書かなかったかもしれない。なぜなら、事故を知る手段も自分の意見を言う場もほとんどなかったと思われるからである。そもそもインターネットがなかったらこの裁判のことを知る手段としては,テレビや雑誌などの既存のメディアか当事者が配るビラくらいしかないであろうし、上記のように既存のメディアがほとんど報道せず,現場も自分の居住地から遠い場合,知る手段はほとんどない。また、たとえ知ったとしてもそれを他人に伝える手段はほとんどない。せいぜい、日常生活で接する人にちょっと話すくらいである。かくいう自分も,このような事故の裁判があったことは知らなかったであろうし,知ったとしてもそれに対する自分の意見を話すようなことはなかったであろう。10年位前まではこんなことを自分が書いてそれを自分が知らない誰かが読むなどということは想像もしなかった。それが今はこのように書いている。改めて考えてみると,これってすごいことだなと思った。これが、「ウェブ進化論」に書いてあった「書けば誰かに届く」「総表現社会」なのかなと改めて思った。


インターネットは自分に世界中とつながる手段とブログという自己表現の場を与えてくれたわけだが,考えてみればインターネットはそれ以外にも自分に様々なものを与えてくれた。例えば,このブログを読んでいる何人かの人はインターネットがなかったら会うことはなかった人たちだと思う。私はそのような人たちと出会う機会を与えてくれたインターネットに感謝したい。そして、できることなら何か還元したい。「ウェブ時代をどう生きるか」ということを考えた場合,「ウェブを使ってどこまで自分を高められるか」だけではなく「自分はウェブに何を還元できるか」まで考えたい。


そして、今のところそれにはこのブログを書きつづけることが一番なのではないかと思う。私はインターネットは巨大な拡声器のようなものではないかと思っている。そこに投ぜられたものは、いいものも悪いものも広がりを見せる。時には投じた人の意図や想像を超えて。とするなら、「自分なりの良貨」を投じることがインターネットに対する一番の還元方法ではないかと思う。「書けば誰かに届く」ことを信じて。


久しぶりに他人に読まれることを意識しながら書いたので硬い文章になってしまったが,上記のような理由で自分に余裕のある限りこのブログを書きつづけていきたいと改めて思った次第である。