G*[書籍] アメリカから自由が消える

アメリカから〈自由〉が消える (扶桑社新書)

「問題は、市民の自由を奪うこの搭乗拒否リストが、本当にテロリストから私たちの自由と安全を守ってくれているのが?ということなんです」

明瞭な終わりがなければ、政府は国を好きなだけ戦時下という緊張状態にしておける。そして最優先事項である安全保障と引き換えに、あらゆるものが犠牲になることも正当化されるだろう。

アメリカの歴史を振り返れば、異常なスピードで通過する法案というものは必ず政府による緊張状態の際につくられるのがわかります。
そしてそのどれもが、後になって国民にとって最も危険なものだったとわかるのです。」

拷問には二次被害というものがあるのです。
それは拷問を受ける人が直接心身に傷を負うこととは別に、その人が拷問を受けたという事実が、社会のなかにいるほかの市民の間に、恐怖を広げてゆくという作用です。

ドイツも初めからああだったわけではありません。ヒトラーは国中が不況と不安に苦しむなかで、選挙という民主的な手続きで人民に選ばれたリーダーでした。

ベトナム戦争報道が成功したのは、開かれた事実とそこへのアクセスが可能だったこと、そして私たち報道記者が、政府に説明責任を求めることに使命感を持っていたからです。」

戦争の歴史は、その時代の戦争報道の歴史とともに語られるべきなのだ。

「その通り。そして政府はおそらく、もっともらしい名のついた法律とセットにしてくるでしょう。
『テロ対策法』は言わずもがな、『女性差別禁止法』に『性的犯罪取締法』、『人権推進法』といったような名前が出てきたら要注意ですよ。
これは人間の歴史のなかで、繰り返し使われてきたやり方だからです。
もちろんあなたの母国日本でもかつてあったでしょうし、これからもいつだって起こりうる。」

何故なら最終的に判断するのは国民であり、私たちの使命は判断材料としての事実をできるだけ公平に手渡すことだからだ。

今この国が抱えている問題はそこなんです。一体何を見せられているのか、メディアにいる私たちですらわからないのです。

ハート氏の批判は、かつてヒトラーが言った言葉を思わせる。
<大衆は小さなウソには騙されないが、大きなウソには簡単に引っかかる>

「あれを見ている時に、娘のケイトがこう言ったんです。
『ねえ私、リチャードのことを通報するわ、彼は反オバマだもの』って。
リチャードというのは同級生で、日頃から彼女と仲が悪いんですよ。」
「それを聞いた時、どんな風に感じましたか?」
デブラはごくりと唾をのみこむと、こう言った。
「実は娘の言葉を聞いた時、私が咄嗟に感じたのは恐怖でした。
リチャードのことではありません。私のことを通報するだろうある人物の顔が浮かんだからです。」
「誰ですか?」
「別れた夫です……」

反戦良心的兵役拒否が戦争の継続に影響しないよう、一元化した個人情報を監視して、不当な捜査や逮捕、勾留を繰り返すことで、人々を委縮させてゆく。そしてそれがいつの間にか、戦争というひとつの目的をはるかに超えて、政府が国民の思想そのものを取り締まるようになってゆくのです。

独裁体制の最大の道具は「戦争」だ。
だとすると、<戦争VS平和>という単純な図ではなく、戦争はある特殊な状態のなかでの突出したひとつの現象になる。
戦争に向かって進むのではなく、戦争というものが持っている体質が、社会全体を飲みこんでゆくのだ。

その通りです。ムーア監督の才能とその存在は、リベラルなインテリ層にとってはショッキングな問題点というより、むしろある種のガス抜きになっていますね。

アメリカ社会をじわじわと浸食しつつあるこの流れ、だが目を凝らしてよくみれば、今の日本にも確実に同じ気配が見え隠れしていることに気づく。

「そういう時はおかしいと思ったらすぐ動くことが重要です。でないと手遅れになる。
反政府だの非国民だのと言われても、ひるまないで騒ぎ続けるのです。でないと気づいた時にはもう声も出せず、黙って収容所へ向かう列に並ばされる羽目になりますからね」

『がっかりすることはないさ、これまで通りの活動を続けよう。結局のところ、いつの時代も結果を出してきたのは、普通の市民が地道に上げ続ける声だったじゃないか』

本一冊自由に買えないなんて、まるでオーウェルの『1984年』か、映画に出てくる警察国家じゃないですか

確かに安全も重要ですが、それによって合衆国憲法が崩されていくのは国民にとって本末転倒だと思うんです。

「あなたが考える以上に、アメリカの国民には慈悲と良心がありますよ。
メディアがきちんと正確な報道をして真実を伝えさえすれば、アメリカ人はいつでも勇気ある行動を起こせる人々なのです。」

建国者たちが憲法をつくった時、外の敵から国民を守るのと同じくらい力を入れた箇所がありました。
それは国を動かす権力が、ひとりまたは少数の為政者に集中するのを防ぐことです。
そのために三権分立における『チェック・アンド・バランス』を機能させること。
そして、国がおかしな方向に向かおうとした時に、国民が臆せず疑問を口にして、多様な議論ができる<言論の自由>を維持すること。
このふたつが失われれば、どんなに最新式の武器と軍隊で外敵から守っても、国民の幸せは守ることができません。
そうした国はやがて必ず滅びることを、建国者たちは知っていたのです。

「少なくとも表向きはまだ選挙制度が存在する法治国家である限り、社会の状況を政府のせいだけにすることはできないのです。」

「ここまでこうした言論弾圧が進んできてしまったひとつの原因、それはまさに、アメリカの国民が自分の頭でものを考えなくなったことにあるのです。
法律というものは人々が思っているよりもずっと怖い。一度できてしまうと、ひっくり返すために途方もない時間とエネルギーがかかるのです。
でもテレビを中心に流れてくる、何が真実だかわからない報道をシャワーのように浴びているとどうなるかわかりますか?そのうち消化不良を起こすんです。
そうなると、かつてイタリアやドイツでそうだったように、国民はやがて政府に説明責任を問うことをやめてしまいます」

真の愛国心とは、外の敵におびえて政府のいいなりになり自らの自由を放棄することではなく、政府に憲法の理念を守らせることなのです。

<建国の父>のひとりであり、のちに第四代アメリカ大統領となったジェームズ・マジソンは、合衆国憲法起草に関わった際にこんな言葉を残している。
「民主主義にとって最大の脅威とは<戦争>や<安全保障>の名の元に、司法、立法、行政などすべての権力が一箇所に集中することだ」